一人(ちゅい)助け(たしき)助け(たしき)【一人一人、助け助け合う】

立憲君主制を尊重する立場から、自他の個人の尊厳を守る有権者同士の緩やかなつながりで共同体を尊重する道を探ります

日本人の死生観を問う

 だいぶ間が空いてしまったので生存確認がてらの更新です。

 

 所属している里見日本文化学研究所の発行する『国体文化』4月号、5月号にて昨今のコロナ禍に関する日本人の無責任体制に言及しました。
 編集を経ていく中で特にワクチン被害者に対する冷たい視線を批判する部分が、ややもすれば生命至上主義的な感を出したかもしれませんが、むしろ私がこのコロナ禍で失望しているのは日本人の死生観の稚拙さです。
 そのため、当面は日本人が「健全な死生観」を取り戻す事を目標にしたいと考えております。
 幸いにして『国体文化』の出版元である日本国体学会は日蓮宗系の国柱会から派生しており、日蓮の言葉からも傾聴すべき死生観が散見されます。ですから、「健全な死生観を取り戻す」という課題に対して、材料には事欠かないと思います。後は小生がどれだけ体系立てる事が出来るかですが…。

 

 ついでに申しますと、実は連休明けからコロナにかかっていました。
ちょうど基準が五類に引き下げられた当日でしたので濃厚接触者の概念がなくなり、その点で誰にも迷惑かけなかったのはせめてもの救いです。
 一方で症状は、インフルエンザや急性扁桃炎に似て似て確かにキツイなとは思いました。特に頭痛は鈍器で殴られたかのような痛みを覚えました。しかし、だからこそ、どこのクリニックでもすぐに点滴ぐらい打てるようにして欲しいなーというのが一罹患者の本音です。
 上記の論稿にしてもそうですがコロナ禍以降、医療業界の聖域化に散々悪態をついてきた私ですが、日本の医療技術の高さは信用しています。
 ただ、せっかく現場に技術がっても、業界の「お偉いさん」方に哲学がないのがいけない!この辺りの「上に行くほど無能になる」の東電にしても旧日本軍にしても同じ様に感じます。

 それから、私の周りで感染した人の話を聞くと、症状の種類や軽重も様々で、やはり変異の早いウイルス(実はそれはインフルエンザも同じなのですが)なのかと思います。その変異が早いウイルスを十把一絡げにワクチンで予防しようという事自体、ナンセンスな話ではないでしょうか。
 例えて言えば相手がステルス戦闘機で来るのか、潜水艦で攻めてくるのか分かりもしないのに護衛艦、百隻並べてドヤ顔するような感があります。

 最後に頼れるのは東洋医学的な日頃の養生だと信じます。