一人(ちゅい)助け(たしき)助け(たしき)【一人一人、助け助け合う】

立憲君主制を尊重する立場から、自他の個人の尊厳を守る有権者同士の緩やかなつながりで共同体を尊重する道を探ります

ジャニーズ問題にみる英BBCと自称人権派の欺瞞

 遅ればせながら故・ジャニー喜多川氏の性加害問題がお茶の間を騒がせている。
 当該問題について筆者は詳しくないが、長年のジャニーズファンの方々の反応から察するに「今まで暗黙の了解とされていた事が英BBCで大々的に報道されて、慌てて日本のリベラル系マスコミが便乗している」面はあるように思う。

 勿論、未成年の少年に対するわいせつ行為は倫理的にも法的にも厳しい態度で臨むべき事であったと思う。
 一方で死者を裁く法はない以上、「被害者への補償」はなされても「加害者から被害者への賠償」は法律上不可能ではないか。
 そもそも「被害者がいるから、加害者がいるはずだ」という発想自体が単純な二元論であるから、そんな陳腐な理論に便乗して「被害者への補償」よりも「加害者(?)への糾弾」にウェイトを置く自称人権派の活動など、聞いていてあくびが出る思いだ。

 

 我田引水かもしれぬが、最も腹立たしいのは彼らががなり立てていた時期だ。
というのも、焦点となったジャニーズ事務所の初回記者会見が行われた9/7は、辺野古の工事をめぐる沖縄県国土交通相との間で争われた訴訟で最高裁が県の上告を棄却した9/4と時期が被るのだ。
 この辺野古工事が1995年の沖縄米兵少女暴行事件という性暴力に端を発している以上、ジャニーズ事務所を糾弾する面々の理論からすれば許されざる行為ではないか?
 にも拘わらず、彼らがこれを同じ熱量で語ったという話を寡聞にして聞かない。

 

 もう一つ指摘したいのが、事の発端である英BBCの態度だ。
 冒頭に書いたように当該事件自体が「今まで暗黙の了解とされていた事」を「英BBCが大問題として取り上げた事」が発端の様だ。
しかし、英BBCについても辺野古問題については何度か申し訳程度に触れるばかりで、ここまで大事として報道したという印象はない。

 

 なんのことはない。
 結局のところ、日本の自称人権派にしても英BBCにしても、正義の大安売りしながら「相手見て喧嘩売ってる」卑怯者の集団という事だ。
そんな卑怯者がいくら、辺野古移設反対を訴えた所で空念仏に終わるのではないか。
やはり「平和主義でない辺野古移設反対」の幅を広げていく必要がある。

ゼレンスキー大統領の国連総会演説所感

 ウクライナのゼレンスキー大統領が日本時間9/20日午前3時頃に国連総会で行った演説の訳文を日経新聞のWebページで閲覧した。

www.nikkei.com</center>

 ゼ大統領に対して筆者はウロ戦争開始直後の文言から「外交音痴ではないか?」と疑っていた。
 そのため、この戦争でもっとも国際法上の責任が重いのはプーチンであると認識しつつも、安易にゼ大統領を英雄視する事は危険だと考えていた。

 
 しかしながら、上記の演説における「兵器を制限する条約は多く存在するが『兵器化』に対する真の制限はない」とする指摘は示唆に富んでいる。
そして、いわゆる軍需産業が生み出す重火器以外の「兵器」について言及する。

 
 最初の例として「食料の兵器化」をあげる。ウクライナの主要な港を封鎖する事で食料不足を兵器化しようとしているとの事だ。
これは文字通りの兵糧攻めであり、食料自給率の低さを散々指摘されてきた我が国も他人事ではない。

 
 次に「エネルギーの兵器化」。ここではロシアが原発技術の輸出で他国の発電所を汚らしい爆弾に仕立てていると述べる。
原発を攻撃すれば、核を保有しなくても、同等の攻撃力を発揮できると言いたいのだろう。
 この様な懸念は東日本大震災以降、民間で何度となく指摘されてきた問題だが、何故か「国防、国防」と五月蝿い保守論壇で顧みられることがなかった問題だ。

 
 「3番目の例は子どもたちだ」と述べるが、この中で「連れ去れた子どもたちはロシアにウクライナを憎むように教えられ、家族の絆は引き裂かれる」とある。
つまり「教育の兵器化」だ。これまた所謂「自虐史観」とそれに対する極端な無病論の二極化に悩まされてきた我が国としても他人事ではない。

 
 注目すべきは終盤の「せめてもの救いは、まだ人類は気候を武器として使う方法を身につけていないことだ」とする発言だ。
 突飛な感があるが、異常気象が世界的な課題である以上、それを解決する技術が今後発展したとして、その技術が軍事利用される可能性はある。
 しかも、仄聞するところによると世界の自然災害による被害の20%が日本で発生していると聞く。危機感をもってしかるべきだ。

 
 重要な事はその様な「兵器化」に対して、あくまで国際法で対峙しようとする姿勢だ。
 それは「ウクライナに対する戦争の目的は1つ。我々の国土や人々をあなた方や、ルールに基づく国際秩序を攻撃する武器に変えることだ」という言に現れている。

 
 ただし、その方法論として、文末にあるような「既存の安全保障の枠組みのアップデート」「国連憲章の復活」には同意しかねる。
 何故ならゼ大統領自身が冒頭で言うように、話し合いの場である「国連総会」は「侵略者をとどめることに対し、それほど積極的な役割を果たしてこなかった」のである。
 これはもはや、「既存の安全保障の枠組み」も「国連憲章」も金属疲労を起こしている証左だろう。
 そのため今必要な事は「既存の安全保障の枠組みのアップデート」「国連憲章の復活」ではなく、「新しい世界秩序」へのフルモデルチェンジであると考える。

Ryuchell氏の自殺に思う

 遅ればせながら、Ryuchell氏が自ら命を絶たれたとの事でまずはご冥福をお祈りいたします。
 当事者として、この件を見た時、また多数派の中で「触らぬ神に祟りなし」という空気が醸成されないかという懸念があり、明け透けに言えば「困ったな…」という思いはあります。
 また氏の離婚前後からお内儀様とご子息が振り回された事は事実ですから、その点で100%肯定する事は難しいでしょう。

 

 しかし、だからと言って「奥さんと子どもが可哀そう」という言葉を錦の御旗にして「自分勝手」「何がしたかったのか分からない」という死者に鞭打つ態度が許されるのでしょうか?

 まず「奥さんと子どもが可哀そう」という態度は、その言い分が「夫・父の役割への放棄」を非難するものであるから、根底に古典的な「男らしさ」を強制する姿勢が見える。

 

 だが、男性の立場でそれを言うなら、「匿名のネット空間」という安全地帯から誹謗中傷する輩に「男らしさ」を説く資格があるのか?という疑問が残る。
 一方で、女性の立場でそれを言うなら、自身のパートナーにその「男らしさ」を求めてきた、あるいは求めるに足るほど、パートナーを『異性』として尊重してもいないのであれば、赤の他人の「複雑な事情」に一々口出しするのは筋違いだ。

 

 仄聞するところによるとRyuchell氏は、「父親の立場に誇りを持っている」一方で「夫という立場に苦痛を感じていた」との事で性的な立ち位置についてかなり迷いがあったようだ。とすれば自己実現の方向性でかなり葛藤を抱えていたことが伺える。
 つまり「何がしたかったのか分からない」の正体は(情動的な物言いではあるが)「自分はこの人生で何を求めているのか、何を実現したいのか」という悩みだったのではないか。そして、それ自体は別に珍しい事例だとは思えない。氏の場合は、たまたまその重点的な分野が「心の性別」だっただけではないのか。

 

 とすれば、この炎上の背景にはやはり「心の性別の複雑さ」に対する日本社会の無理解があるのではないか。
 無論、欧米型のLGBTQ論を無理やり日本に当て込む必要もないし、歴史的に性の多様さに対して(各々の時期の欧米に比べれば)寛容であったことは理解している。
 だが、その事と現に今差別や無理解がない事は話は別だと念押ししておく。

LGBT問題についての一所見

 所謂、LGBT法案について世が騒がれていますので、ここで所見を表明します。

 筆者は同性婚に賛成の立場ですが、憲法24条の改正は必要だと考えています。(詳細は別の機会に)
 また自身が異性愛(たまにバイ気味?)で性自認が両性である事から、この問題の当事者であると自認しているが、既存のLGBTQ支援団体は支援の対象として同性愛者を中心としており、自身の様な「異性愛に違和感のない性的少数派」が不利益を被る実態が可視化されていないと感じていた。
 この様な経緯から当事者と非当事者の対立よりも、筆者は当事者同士の対立の方が問題と考えいた。

 ところが最近、ある信頼していた非当事者の方に、自身のジェンダーアイデンティティーについてカミングアウトした所、「どの性別の服飾を選ぶのか?」という点について、これをフェチシズムの問題に置き換えられて、「あなたの周囲が受け入れがたい『趣味』について『理解』という名の『我慢』を強いるのはスジ違いだ」という主旨の事を言われた。
 この後、相手方には一方的に対話を打ち切られてしまったが、この件を改めて吟味したいと思う。
 まず『アイデンティティー』の問題を『趣味』と置き換えているが、この点からして『無理解』である。また、ここで「我慢」という言葉を出したことは、こちらの「理解を求める姿勢」を「我がまま」と捉えていた事になる。
 既に何人かの議員が「LGBTは趣味」(自民党・谷川とむ衆議院議員)「LGBTへの支援はやりすぎである」(杉田水脈議員)と言ったたぐいの発言を行い問題視されている。
 それにも関わらず、この様な発言をされたという事はこの問題に関して大して関心がないのではないかと推測されます。まず間違いなく言える事は、カミングアウトした事柄に「自分でも調べてみる」という態度を全く見せなかったことだ。
 試しに検索して頂ければわかるが、ジェンダーマイノリティーの属性も細分化されていて、性的少数派の同性愛者という訳でもなければ、一見「性的嗜好」に見えることでも本人にとっては「性的指向」だったという例は多くある。(そもそも先方は「性的嗜好」と「性的指向」の違いがわかっていないのではないかと疑っている)
 つまり当事者からすると理解云々の前に、圧倒的にこの問題の前提となる知識が不足しているのだ。

 また、100歩譲って、これが「趣味」の問題であったとしても、「我慢を強いるな」と言って「理解しようとしない姿勢」を正当化できるものではない。今では信じがたいが、ほんの20年前までは「アニメ」は相手を選びながら開示する趣味で、本人に許可を取らず他人に公表したら舌打ちされる類のものだったのだ。

 ともあれ、今回の件で、もっとも自身を脅かすのは当事者同士の対立ではなく、非当事者(それは引いては社会の多数とも言える)からの無理解だと認識した。
 大袈裟かもしれないが人格を否定された事で生命の危険すら感じたし、情けない話相手から送られた最後のメール文面も証拠として残しているが、未だに直視すると動悸がする。

 但し、筆者本人も猛省しているのは、自身も受け入れてもらう事を前提にしたカミングアウトではなかった?という点だ。情動的な事を言えば「この人なら裏切られても仕方がないという」覚悟がなかった事は確かだ。
 巷でカミングアウトに関する美談を良く聞くが、逆に言えばそれだけ一般的には無理解に基づく悪い結果の方が多いという事だろう。(これについては、無責任に美談にしてしまった報道機関も悪い)

 総括して言えるのは法案中の「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み」という一文は正しく、その対象は反対論者だけでなく支援者も含まれるという事だ。

 下記、余談。
 作家の古谷経衡氏によると、ここ最近の保守論壇のある種異様なまでのアンチLGBTブリについて、その原因を他の問題との「優先度」と分析していたのは、なるほど分からなくもない。
 同記事中の保守派にとってのホットイッシューの変遷図は一読の価値ありなので、興味があれば是非ご覧いただきたい。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20230616-00354087

日本人の死生観を問う

 だいぶ間が空いてしまったので生存確認がてらの更新です。

 

 所属している里見日本文化学研究所の発行する『国体文化』4月号、5月号にて昨今のコロナ禍に関する日本人の無責任体制に言及しました。
 編集を経ていく中で特にワクチン被害者に対する冷たい視線を批判する部分が、ややもすれば生命至上主義的な感を出したかもしれませんが、むしろ私がこのコロナ禍で失望しているのは日本人の死生観の稚拙さです。
 そのため、当面は日本人が「健全な死生観」を取り戻す事を目標にしたいと考えております。
 幸いにして『国体文化』の出版元である日本国体学会は日蓮宗系の国柱会から派生しており、日蓮の言葉からも傾聴すべき死生観が散見されます。ですから、「健全な死生観を取り戻す」という課題に対して、材料には事欠かないと思います。後は小生がどれだけ体系立てる事が出来るかですが…。

 

 ついでに申しますと、実は連休明けからコロナにかかっていました。
ちょうど基準が五類に引き下げられた当日でしたので濃厚接触者の概念がなくなり、その点で誰にも迷惑かけなかったのはせめてもの救いです。
 一方で症状は、インフルエンザや急性扁桃炎に似て似て確かにキツイなとは思いました。特に頭痛は鈍器で殴られたかのような痛みを覚えました。しかし、だからこそ、どこのクリニックでもすぐに点滴ぐらい打てるようにして欲しいなーというのが一罹患者の本音です。
 上記の論稿にしてもそうですがコロナ禍以降、医療業界の聖域化に散々悪態をついてきた私ですが、日本の医療技術の高さは信用しています。
 ただ、せっかく現場に技術がっても、業界の「お偉いさん」方に哲学がないのがいけない!この辺りの「上に行くほど無能になる」の東電にしても旧日本軍にしても同じ様に感じます。

 それから、私の周りで感染した人の話を聞くと、症状の種類や軽重も様々で、やはり変異の早いウイルス(実はそれはインフルエンザも同じなのですが)なのかと思います。その変異が早いウイルスを十把一絡げにワクチンで予防しようという事自体、ナンセンスな話ではないでしょうか。
 例えて言えば相手がステルス戦闘機で来るのか、潜水艦で攻めてくるのか分かりもしないのに護衛艦、百隻並べてドヤ顔するような感があります。

 最後に頼れるのは東洋医学的な日頃の養生だと信じます。

パンデミックとワクチンと危機管理と

 

 10月からオミクロン株対応と称するワクチン接種が始まり、国内メーカーも先月末には塩野義製薬が自社ワクチンの承認申請を年内に行う予定との報道がありました。

 ワクチン嫌いをすねらせている身としては、ここ2ヶ月ほどワクチン関連の調べ物をしていたのですが、この分野に関する問題のひとつは、副作用の被害者が発生した際に責任の所在と救済制度が国ごとによって異なる事だと考えられます。

 上記は少々古いですが平成22年6月の厚労省・予防接種部会で使用された資料です。

 これを額面通り受け取れば、目下の様にワクチンを海外製品に依存している場合、米国内の被害者は自国の製薬会社により救済されるが、日本の被害者はその補償を製薬会社に求めることが出ずに、政府に肩代わりしてもらう一方で、日系製薬会社は国内の被害者に対して製造物責任を負う事になる訳で、どうもスッキリしないものがあります。 それとむしろ、こちらが大事なのかと思いますが、米国がこの様な責任の所在と救済制度について「通常時」と「公衆衛生上の緊急事態」で差異をつけていたのに対して、日本では大差ないところに危機管理の欠如があるのかもしれませぬね。

水道橋博士参院議員の休職について思う

www.nippon.com

 れいわ新選組水道橋博士参院議員がうつ病のため、当面休業するとのことだ。
 最前のブログ記事で「辺野古移設反対」且つ「コロナ対策は感染抑止より経済優先」の議員を増やす必要性を訴え、その代表例として氏の名前を挙げた手前、この件は非常に残念だ。
 
 実を言えば筆者もうつ病にかかった経験があるため、その苦しみは痛いほど分かる。まずはしっかり療養して頂きたい。
 
 扨、この休職を受けて同党代表の山本太郎氏が声明を出したので、これを見てみたい。

reiwa-shinsengumi.com

 

 まず注目すべきは水道橋氏本人は辞職を希望していたが、担当の医師から「今の状況で判断するのは良くない」との助言を受け、休職することになったという点だ。
 この担当医氏の判断は非常に好感が持てる。
 語弊を恐れず言えば、うつ病とは要するに脳機能が低下(勿論、これは抽象的な観念での頭の良し悪しとは別問題である)した状態であるから、こういう状態で重大な決定はすべきではない。
 
 仄聞するところによると精神科医の中には、製薬会社とタッグを組んで依存性の高い薬をドンドン処方する様な輩もいると聞くが、これを見る限り件の担当医は親身な医師であると思われる。

 一方で引っかかったのは以下の山本代表の言葉だ。


 国会議員がうつ病で休職するということに対して、ご批判の声があるかもしれませんが、私はこれも非常に意義のある決断だと思っています。

 なぜなら、この国には、過労や仕事を原因とした精神疾患によって命を奪われてしまう人、自ら命を絶ってしまう人が多く存在するからです。

 そんなこの国で、この国に住む人々の代表である国会議員が率先して正直に病気について開示し、休むという選択をすることは、今、苦しい思いをしている人々が立ち止まるひとつのきっかけになるかもしれません。


 良くも悪くも山本氏は善意の人であるから、うつ病を患う人への眼差しや、今回の水道橋氏の休職を通じてそういう人たちへ「休んで良いんだよ」と呼びかけは本物だと思う。
 他方、現実的には「うつ病でも休めない人がいる」問題の解決には二つの課題があると思う。
 すなわち「本人の問題」と「周囲の理解」である。ご存知の通り、うつ病にかかる人は真面目で責任感の強い人が多いと言われる。故に戦略的に休養を取る事と、怠慢を混同しがちだ。
 また昔ほどはないにしても精神疾患を患う事を恥ずかしいと捉えたりする当事者もいるだろう。
 そういう前提を考慮すれば、水道橋氏が「勇気をもって病気を開示し、休養をする事を選択したこと」は、そういった当事者たちへのメッセージにはなると思う。

 

 他方、周囲の理解という点はどうだろうか。
 残念ながら、筆者がうつ病を発症した時点では、職場の上司も症状については理解してくれていたが「多忙さ」「職場の人間関係」が原因であるという事はまるで分っていない様子であった。
 念押ししておくと「認めようとしない」のではなく、本当に「そういう発想がない」のだ。
 もちろん、これは10年前の話であるから、今は多少変わっているだろうが、大きな改善は期待できないと思う。
 まして同党自体が毀誉褒貶の激しい政党であるから、それがためにいわゆるアンチからの心無い発言も出てくる可能性も考えられる。

 

 ただ一方で、毀誉褒貶が激しいからこそ、フォローの声も上がると思う。
 例えば精神科医・樺沢紫苑氏の下記の動画は非常に要領を得ており、この病気の理解の一助にとなると思う。
 下記動画のコメント欄を概観すると、れいわ新撰組や水道橋氏に賛否両論あるものの凡そ「これを機にうつ病への理解が深まれば」という声が多勢を占めていると思う。
 
 国民の心身の健康が守られる事も国益に資すると考えるので、今回の件が少しでもいい方向へ動けばと思う。