一人(ちゅい)助け(たしき)助け(たしき)【一人一人、助け助け合う】

立憲君主制を尊重する立場から、自他の個人の尊厳を守る有権者同士の緩やかなつながりで共同体を尊重する道を探ります

自公が推薦する知念氏の支持表明をした城間幹子那覇市長を批判する

 全く理解しがたい。
 10月23日投開票の那覇市長選で、今期限りで引退を表明していた現職の城間幹子市長が自公明推薦の知念氏を支持すると表明。
 正直に言えば故・翁長雄志元知事の跡を継ぐ格好で市長に当選した城間氏の立場を考えれば、「よりにもよって」という感はなくもない。無論、現地の事情と言うのは外から見ていても分からないと思うので、そこは立ち入らず、ここでは上記記事中の城間氏の発言を検証してみたいと思います。

 

 →政治姿勢の変化ではないか、という質問について

「私はスタート地点から真ん中、保守中道だ。私自身は変節していない。皆さまがオール沖縄対自公の構図をつくった。選挙なのでそうなると市民も分かりやすいと思うが、その構図ではない中で市政運営はなされている」

 

 「皆さまがオール沖縄対自公の構図をつくった」との言の「皆さま」が具体的に誰を指すか、引っかかる部分ではあるがここではそれは問わない。問題は明らかにオール沖縄対自公の構図を沖縄側がつくったと言っている事だ。だが、「オール沖縄対自公」の争点は辺野古移設の是々非々であり、これを「唯一の解決策」と押し付けているのが政府の側である以上、オール沖縄対自公の構図を県民の側がつくったというのはおかしい。

 「私はスタート地点から真ん中、保守中道だ。私自身は変節していない」との言も認められない。自公政権が真に保守中道が手を組むべき相手かどうか疑問であるが、この件もここでは問わない。それよりも問題なのは、やはりオール沖縄の原点が「保革合同」である以上、「自分が保守だから保守と手を組む」という発想自体が立脚点にそぐわず、変節という評価は免れない。

 

 →公推薦の候補を応援することで、オール沖縄側から批判される可能性について  「私は2期8年間、翁長雄志前市長からバトンを受け継いで那覇市政を発展させ、市民の皆さまにご理解いただけた。それが私のやるべきことだった。恩返しができたんじゃないか」

 

 この発言は全く許容できない。

 繰り返す様に翁長雄志氏は「自ら望んだわけでもない基地のために、いがみ合う県民同士を一つにまとめたい」との想いを政治の原点としていた。そしてその最期の遺志が辺野古移設問題であり、それが解決していない以上は「恩返しができた」などという事は口が裂けても言えないはずである。
 城間氏に限った話ではないが、かりそめにも沖縄で保守(勿論、この場合の保守とは単に反共・反サヨクの意味ではない)を名乗るなら、今沖縄保守の本分とは何か、故・翁長雄志氏の言葉からよくよく考えて頂きたい。

 

「割れていた県民の心を一つにするには、まず保守の側から真ん中に寄らないと、革新の側から来てくれるということはたぶんないだろうと思ったからです。ある意味では私自身の政治的自殺行為とも言われましたが、私は割れた心を一つにすることを目標にしてきたので迷いはありませんでした」 (〇七年に教科書問題で県民大会の共同代表になった際の発言)

 

「政治家としては大変恐ろしかった。(中略)保守の側から『おまえいつから革新になったんだ』と非難の手紙や電話も来た。だが、保守でなければウイングを広げることはできない。革新の皆さんには純粋性と潔癖症と本当にすごい誇りがあるんだけど、包容力という意味では弱い。誰かがやらなければできない。だから、僕が真ん中へ行った」(保守政治家でありながらオスプレイ反対運動に立つことへの迷いや葛藤はなかったか、という質問に対して。沖縄タイムス社『沖縄を語る・1』より)